自殺を肯定するわけではないが、自殺や不登校は、個性の表れではないのか。
戦後、日本の教育は、アメリカ式を目指し、個性重視で行ってきた。即ち、(アメリカのような)個性的な人を排出することを目的としてきた。戦前の一貫教育では、個性が無視され、恐怖政治により、個性は摘み取られてきた。一貫教育はつい最近まで行われてきたため、個性はなかなか芽吹かなかった。
ここ最近のユニークな学校の出現や、教育方針により、ようやく子供たちは、個性を広げる方向へ、動き始めた。しかし、裾野が広がれば、はみ出す者が増えてくる。
個性を重視する学校や親の場合は、はみ出し扱いはされないが、未だに個性を認めず、摘み取っている学校や親は多数ある。それが自殺や不登校という形となって表れているに過ぎないのではないだろうか。
学校は行った方が楽できるが、絶対に行かなくてはならないものでもない。学校の目的は社会で生きて行くに必要な知識を教えることと、集団活動の習得である。学校で学ぶのが最も効率的だが、学校でなければ絶対に学べないと言う程のことでもない。20歳までに学ぶのが理想的だが、絶対と言う訳でもない。学ぶ方法と学ぶ時間にバラツキがある、これも個性の一種である。
これを認めれば、不登校は意味を持たない。強引に学校に行かせる理由等は、実はないのである。
個性的な時代になったのだ。社会も学校ももっと個性を認め理解を示して欲しいものである。
# 多くは、主婦の井戸端会議が原因で、これが世間体を生み出しているのではあるが。暇な主婦に知性を求めるのは論外か。