誤解されている方も多いようだが、日本の刑法は、被害者の無念を晴らしたり、被害者に代わって復讐をしてくれるものではない。あくまでも、加害者に反省の機会を与え、社会復帰してもらう事を目的として存在している。
これは、社会が人によって構成されている以上、その構成要素を減らす方向の機構にはできないからである。被害者に代わって復讐をしてくれる機構にした場合、極端な話、社会人全員が犯罪者になってしまった場合、社会を構成する人がいなくなってしまい、社会が成り立たなくなってしまう。しかし、今の刑法ならば、社会を構成する人がいなくなることはあり得ず、せっせと納税してくれる人が絶えることはないのである。最悪、恩赦という手を使って、社会復帰させることが可能だからである。理由の納得できない恩赦は、この最悪の時のための前例作りとも解釈できるのである。
従って、被害者が加害者に復讐をしたい場合は、以下の方法をとるしかない。
3.は推理小説などで、よく動機として挙げられるものである。たとえ加害者を殺せたとしても、気がまぎれるのは一時であり、当然死んで逝った人が還ってくる訳ではない。判ってはいても、加害者が平気な顔をして生きているのを見たりしたときなどは、押さえきれない憤りを感じるものであり、復讐心がメラメラと沸き上がってくる。止むに止まれず犯行に及んでしまう、と言うパターンである。そして、犯罪としてのむなしさを納得させ、復讐者を刑に服させる、と言うのが推理小説などでの王道である。現実問題でも、気がまぎれるのは一時であり、死んで逝った人が還ってくる訳ではないので、被害者の復讐心を満足してくれるものではない。やるだけ無駄である。
一番無難で、前科を作ることもなく、復讐心をある程度満足させられるのは、日本で古くから使われている、2.の復讐方法であろう。従って、加害者は、刑事裁判の判決による刑期を終えれば、罪の償いが終わる訳ではなく、被害者の気の済むまで、この復讐方法を受けねばならないのである。そうでなければ、犯罪はヤリ得となってしまい、社会として犯罪を断ち切ることはできないからである。この復讐方法が苛烈を極めるほど、犯罪は抑制されるのである。
惟一つ、懸案なのは、冤罪と誤報である。この二つが全くなくならないため、この復讐方法が有効に機能していないのである。従って、見つかりさえしなければ、何をやっても良いんだ、と言う風潮が、犯罪者の中に蔓延しつつある。警察とマスコミには、是非この点を善処してもらい、明るい(?)健全な社会にしてもらいたいものである。