裁判員制度について(その2)
とうとう裁判員制度が導入されることになってしまった。これに伴なって、裁判を特集した作品も目立つようになってきた。私が見たものは以下の2つ。
1. は、裁判員制度による裁判の進め方について、具体例を用いて説明している。2. は、えん罪についてだが、映画に出てくる腐った裁判官に代わり、裁判員であれば、正しい判断ができる、と考えそうだが、1. の説明に従えば、それはあり得ない。同意見の裁判官が現れない限り、裁判員の多数決は無視されるからである。
この2つの作品を見て、現在の裁判制度が、事件そのものを解決しようとはしていないことが判った。単に容疑者の白黒を問うているだけである。では、容疑者が白だった場合、事件は捜査し直しになるのだろうか。未だかつてマスコミが、ある事件について別の容疑者が見つかった、という報道を されたという記憶が、私にはない。
裁判で事件そのものの解決が望まれていないと言うことは、裁判員が名探偵である必要はないと言うことであるが、では、何を持って判断すればよいのか。1. の説明によれば、検察側が犯罪を立証できているか、或いは、ほぼ容疑者が真犯人であると考えて間違いがないと思えるか、だそうである。前者は判断の余地はない。後者が意見の分かれる所で、裁判員の多数決が活きる所と考えて良いだろう。
では、この時どうやって判断すればよいのか。直接証拠を出されても、状況証拠を並べられても、間違った解釈である可能性は捨てきれない。動機を並べられても、犯人の犯行時の頭の中を覗いた訳ではない。情報そのものが怪しいのであるから、正しい判断などあり得ない。それが現状の裁判である。これは裁判員制度になったからと言って変わるものではない。
では、何故裁判員制度なのか。これは最早、本来は裁判官が背負うべき社会的責任を、我々に押しつけようとしているとしか考えられない。
裁判官とは、上記の矛盾を判った上で、敢えて人々の非難を真っ向から受け止める職業を言う。見返りは高給である。これを今我々に擦り付けようとしているのである。では、高給は返上するのか。我々は高給になるのか。しかし、望んではいない。それを職業に。
これを決めた者は、これらのことが見えているのだろうか。甚だ疑問である。日本の裁判員制度は全員一致を望んでいない。私は棄権票を投じることで、この制度への答えとしようと思う。