京都議定書は、本当に達成できるのか?
省エネについては、オイルショックの時にブームになり、対処できるものは既に実行されている。ましてや今回は、その時の省エネなど比較にならない位の量を削減する必要がある。必要性は認めるが、実現の可能性はない。
基準にしている時代と今とでは、エネルギーの質が違うのである。
例えば、便座ウォーマを例にして説明しよう。基準にしている時代には勿論なかった。しかし、必要なかったのではない。単に存在していなかったから「我慢」していたに過ぎない。今は存在している。そして必要なのだ。従って、その分のエネルギー消費は確実に増えているのである。
例えば、クーラーである。基準にしている時代には、一般庶民は手がだせなかった。しかし、今やその普及率は半端ではない。電気の使用量は、かなり抑えられてきているが、排出される熱量は、冷やす部屋の数に比例するため、その係数は、基準にしている時代と変わらない。
この様に、基準にしている時代には存在しなかったり、普及率が低かった電化製品も、今や殆どの家庭が持っている。そして、今や生活必需品であり、これらなしの生活はあり得ない。また、基準にしている時代では、エネルギーの使い方に無駄が多かったが、今はかなり効率的に使われており、もはや削る所はないに等しい。
こうした状況では、京都議定書で要求している達成目標は、机上の空論としか呼べないだろう。
所で、以前の省エネブームの時に発行された本に載っていたのだが、蛍光灯は点灯するのに30分間点灯放しにした分の電力を必要とするそうである。即ち、省エネで、使用後にこまめに消灯することは、却って電力を消費するため、本末転倒と言うことである。例えば、出社/退社時の更衣室などは、人が入れ替わり立ち替わり出入りする。この様に再点灯時間が30分以内であると判っている場合は、点灯放しにするべきだと言うことである。これを全世界で実施すれば、相当の省エネになる。
開かずの踏切、と言うのがある。これは、電車の本数が多いため、開けられる時間がないのではない。電車が来ないのに閉めている踏切は多い。要するにセンサの設定が悪いため、不必要に踏切を閉めているだけなのである。これをうまく調整するだけで、開ける時間を多くすることができる。これが実現できれば、踏切待ちのアイドリング車を大幅に減らすことが出来、ガソリンの無駄遣いや、二酸化炭素の削減を実現することができる。
踏切待ちでアイドリングをやめればいい、と言う非現実的な意見は却下である。何時開くか判らず、何時閉まるか気が気でない踏切で、エンジンを止めることは、交通の混乱を招くだけでなく、事故も誘発しかねない。事故を起こしてまで省エネをするはずがない。従って、言っても誰もやるはずがないからである。
クーラーから排出される熱を利用して発電は出来ないのであろうか。たとえ微少な電圧しかでなくても、何か使えそうな気がしてならない。勿体ないエネルギーである。