マスコミの責任について

いつだったか、こんな記事がスクープとして載っていた。ある銀行とある銀行で合併の話が持ち上がっており、かなり具体的なところまできている、とのことだった。
所が後日、そのスクープのせいで、合併の話は頓挫し、その銀行は負債を抱え、再建機構の厄介になることになってしまったそうである。

そこでハタと考えた。再建機構の資金は、我々の血税である。そのスクープさえなければ、我々の血税を浪費する必要はなかったのではないかと。
この場合、スクープしたマスコミが、全額責任を負うべきなのではないのかと。

勿論、相手方の銀行が、単にそのスクープを言い訳に使っただけかもしれないが、言い訳にされるスクープに、果たして価値はあるのか。
そもそも、スクープとは何か。我々に損をさせる記事をスクープと言えるのか。

「ある銀行とある銀行で合併の話が持ち上がっており、かなり具体的なところまできている」と言う段階で報道することに、一体どんな社会的な意味があるというのか。
正式発表がされてから報道したのでは、一体何がまずいというのだろうか。

報道の自由を、真に戦争回避のための手段であると捉えれば、この記事を正式発表前に報道することが、どんな戦争回避につながるというのか。
この記事は、正式発表がされてから報道すれば十分なだけの意味しか持ってはおらず、正式発表前に報道することに、報道の自由を適用することはできない。
単なる興味本位の報道であったと言える。社会的な意味は全くない。投資家には意味があるというならば、それはインサイダーと何が違うというのか。
正式発表でない情報によって取引をすることを、インサイダーというのではないのか。

今回は例が古く、具体的な名前を挙げることはできなかったが、今後は厳しく責任を求めていきたいと思っている。

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