田中真紀子の娘についての出版差し止めが、報道の自由を侵害したり、検閲を認めることになると危惧している様だが、私に言わせればマスコミ側の自業自得である。
そもそもどこまでが報道でき、どこまでが報道できないのか。しかし、彼らマスコミはこういう問いかけはしない。特に編集長は。どんなものが売れ、どんなものが売れないかだけである。公人の娘だからなど、ただの良い訳に過ぎない。それこそ、その辺の人間の個人情報に至るまで、売れれば何でも報道の自由で公表してかまわないとさえ思っているのだから。
そんなものに至るまで市民には知る権利があるというのだが、そんなことがあろう筈はない。市民には、知る権利の前に、普通に生活する権利があるのだから。
何でもかんでも報道の自由を主張しているから、出版差し止めや、検閲の憂き目に遭うのである。即ち、今のマスコミは、自分たちで報道の自由の権利を自主管理する能力がないと判断されているのである。正に自業自得である。
この自由主義の中にあって、普通に生活する権利をあえて犯して、報道の自由を認めているという意味を考えて欲しい。これはかなりイレギュラーなことなのである。
本来報道とは、ボランティアで行うべきことである。そうでないと、スポンサーの言いなりに報道したり、大衆向けの記事しか報道しなくなるからである。
どこまでが報道でき、どこまでが報道できないのか。マスコミ自身が判らないというのであれば、あえて一線を教えよう。ボランティア、即ち、号外や、CMなし報道意外では報道の自由という言葉を使ってはならない。自腹を切るだけの価値のある報道であれば、報道の自由を主張しても問題はないだろう。
先の報道も、自腹を切るだけの価値があるか考えてみればよい。受け取る側から言わせてもらえば、そんな価値は全くない。
それ以外の記事は、金を払って報道する許可をもらえばよい。その報道によって金儲けをするのだから、何も問題はないだろう。Give and Take である。
もう1度言う。報道の自由は、かなりイレギュラーな権利である。使用する側は、もっと襟を正して使ってもらいたいものである。スポンサーや、大衆娯楽から早く足を洗って、本来のマスコミの姿に早く戻って欲しいものである。