教育について
教育と言えば聞こえは良いが、要するに国家規模の洗脳機構である。
概ね次世代が社会に出るのに必要な知識を与えることに考慮が置かれているが、例え真実を曲げてでも自国を否定することは教えない。これは、北朝鮮や中国のような1党独裁国家において特に顕著ではあるが、例外なく全ての国家において行われていることである。勿論、今非難されている日本においても。
従って、国家規模の洗脳機構=教育の期間が終了後、独学によって真実を追究しない限り、自国について正しい認識を持った人間は、この世にはいない。果たして、他国を非難している人間は、この国家規模の洗脳を解く努力をしたのだろうか。
国家規模の洗脳機構が通用してしまう背景には、実は人間の本能が関係している。自国を否定することは、自分の足元を否定することである。身の置き場所を考えれば、生まれた場所に置くのが一番簡単である。そこに洗脳のつけいる隙がある。
日本の戦争責任についてでも指摘したが、何故、戦後に偶々中国に生まれた若者に、同じく偶々日本に生まれた我々が非難され、危害まで加えられなければならないのか。国家の洗脳を解く努力もせず、自分の足元を否定したくないために、安易に他国を非難し、本能のままに暴力をふるっている。人間としては最低である。
中国も例外なく他国を侵略し、惨殺してきた歴史を持つ。第二次世界大戦だけを取り上げて、歴史認識を説くのは片手落ちであろう。全く都合の良い解釈である。それとも単に無知なだけなのか。暴力をふるう理由をこじつけているとしか思えない。知性を持った人間のすることではない。
以上の様に、国家は決して、教育という名の洗脳機構を手放すことはあり得ない。従って、日本が教科書検定をやめることもあり得ないのである。国家間で騒いでいる限りは。国名で騒いでいる限りは、教育という名の洗脳の効果を実証しているだけであり、実は逆効果なのである。が、知性を持った人間にしか理解できないことかもしれない。
日本が教科書検定を続ける事は即ち、日本政府が、教育という名の洗脳を続ける事と同義である。教育という名の洗脳を否定するならば、教科書検定も否定されなければならない。教科書検定の必要性を主張する限り、教育という名の洗脳もまた、否定することは出来ないのである。
そして、我々が教科書検定をやめさせる唯一の方法は、国家意識をなくすこと以外にはない。これからも、戦争屋の思惑にのって、国名で争い続けるか、それとも。